【エリート一家】福田淳の生い立ちや経歴まとめ!家族全員マスコミ関係?妻や娘についても調査

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旧ジャニーズ事務所、SMILE-UP.(スマイルアップ)が新設するエージェント会社社長に

実業家・福田 淳フクダ アツシの名前が上がっていますね。

能年玲奈さんこと、「のん」さんのエージェントとして一躍有名になった彼ですが、

実はエリート一族出身、家族全員マスコミ業界!という業界に精通しまくった超やり手である様子。

そこで今回は、福田淳さんの生い立ちや経歴、家族構成をどこよりも詳しくまとめ、マスコミ業界で成功した秘訣を探っていきます!

目次

福田純の華々しい経歴・学歴まとめ

福田淳の簡単プロフィール

  • 本名:福田 淳(フクダ アツシ)
  • 職業:実業家 株式会社スピーディ代表取締役社長
  • 生年月日:1965年7月26日
  • 年齢:58歳
  • 出身地:大阪府高槻市生まれ
  • 最終学歴:日本大学 芸術学部

これがWikipediaにも出ている簡単なプロフィール。

ではここから細かい経歴を見ていきましょう!

福田淳の学生時代

  • 医師になるための進学校(中高一貫男子校)に通っていた
  • 中学3年生で放送部の部長に抜擢された(高校生も部下だった)
  • 頭が良いことを自覚している早熟児だった
  • 放送部でラジオを制作、地元ラジオ局であるKBS京都に持ち込み、放送で流してもらった
  • 映画を撮りたい!と両親に頼み、三千円のカメラで何時間も撮影して編集していた
  • 名だたる映画監督の家に出向き、自分を売り込んでいた
  • 阪大医学部に行くよう学校の先生から言われていたが、父親の説得もあり日大芸術学部に入学
  • 大学で演劇に目覚める
  • 大学時代、学生演劇を黒字化させるなど、マーケターとしての才能を自覚し始める

関西で中高一貫男子校といえば灘中学校・灘高校でしょうか。

確定情報はありませんでしたが、ご本人が「京大阪大(京都大学大阪大学)に行くための学校」

「医者の子供ばかり、医者になるための学校だった」とお話しされていましたね。

高槻出身と考えると洛西高校もあるかな・・・とも思いますが、いずれにせよ超有名進学校です。

https://www.chu-shigaku.com/list/a_kansai/popular_1_boys.html
https://www.chu-shigaku.com/list/a_kansai/popular_1_boys.html

関西出身の筆者の感覚ですと、東大京大なら灘高、京大なら洛西高校、といったイメージです。

ちなみに筆者の勤務先の医師はほとんどが灘高校出身でしたし、それほど医師の確率が高い学校です。

福田淳の細かすぎる職務経歴・東北新社時代

  • 1988年 CM制作会社「東北新社」に入社
  • 1996年7月13日 「東北新社」を退社する
  • 複数の会社からヘッドハンティングを受けるも2年間再就職出来ず

新卒で入社する際、読売テレビ(初任給35万)東北新社(初任給16万)に受かったけれど、

当時付き合っていた彼女が東京にいたため、大阪に帰りたくない!という理由で東北新社に入社したそう 笑

お給料は安かったけれど、そこでCM制作はもちろん、映画の助監督をしたりと活躍されていたようです。

東北新社公式HPより抜粋

そして1996年7月13日 31歳の時に「東北新社」オーナーの息子(当時の常務)に、

「僕の方が常務に向いてると思うと直接本人に伝えてしまい、即刻首を切られそのまま退社となったそうです。

なんともまぁストレートな方ですね

ちなみに、この頃には既に結婚しており、妻子と杉並区の一軒家に住んでベンツを乗り回していたとか。

ただ、首になったことを家族に言えず、毎朝定時に家を出て、近所のジョナサンで暇をつぶしていたそう。

なんだか可愛いですよね 笑

さてさて、この後どうなるのか。

この時代はまだインターネットもなく、BSもスカパーもない時代で、

テレビチャンネルのこと、衛星放送のことを知り尽くしている福田さんは

電通や三井物産、松竹、東映、カートゥーンネットワークなど名だたる会社がオファーに来たそう。

ただ、色々考えた末、オファーを断っていたら2年間仕事がなくなってしまったと。

ちなみに、ある時からヘッドハンティングが途絶えたそうなのですが、

それは「東北新社」のオーナーが、この子は円満な退職ではない!とメディア各所に連絡し、

なんと業界全体から干されてしまったそう。

マスコミって怖い世界だ・・・

福田淳の細かすぎる職務経歴・ソニー時代

  • 1998年 ヘッドハンティングされ、株式会社ソニー・ピクチャーズテレビジョン・ジャパンに入社
  • 2000年 ソニーピクチャーズ・モバイル日米事務所の代表となる
  • ソニーのスタートアップ制度に申し込み、起業に成功
  • 2007年4月2日 株式会社ソニー・デジタルエンタテインメント・サービスとして独立し、社長へ
  • 2017年 のんちゃんと一緒に仕事をしようとしたら圧力がかかり、ソニーを退職することになった
  • 2018年3月 南青山のカフェで株式会社スピーディを立ち上げ、代表取締役社長に就任

2000年代に入り、iモードなどインターネット時代が到来。

そこからモバイルインターネット分野の構想を実現すべく、自身で会社を起業し、活躍されます。

初年度は数億の赤字を出したり、何度かの挫折はあったようですが、それでも今現在に渡るまで携わった事業は全て黒字だとか。

ものすごいマーケティング力!これは旧ジャニーズの皆さんも期待ですね♪

ただ、ご本人のお話で気になったのがこちら。

  • のんちゃんと出会って、一緒に仕事しようと思ったら、色々な圧力がかかった
  • それはもう自分でもどうしようも出来ず、20年勤務したソニーを退職することになった

まだ詳しく言える内容ではない、と言われていましたが、

ソニーを退職せざるを得ないほどの圧力。

芸能界にはどれほどの力があるのでしょう。

能年玲奈時代の所属事務所とジャニーズ事務所、似たものを感じますね。

エリート過ぎる!華麗なる福田淳の家族たち

福田淳の家系は代々マスコミ関係

https://note.com/fukudadesuga/n/nad717f26d87e

この時代の写真が綺麗に残っていることからしても裕福さがわかりますよね。

  • 祖父の福田薫は元テレ朝副社長!
  • 兄弟は兄がいる
  • 家族全員、娘様も含めて代々マスコミ業界にいる

福田家は、祖父の福田薫が偉かった。そこから父も兄も私も子供も代々マスコミ業界へ続いている。

https://spdy.jp/

ご兄弟はお兄様がいらっしゃるとのこと。

また、お父様もマスコミ業界の方、とのことですが、

息子を進学校に行かせるだけの財力があり、

大阪大学医学部に行けるほどの頭脳を持ちながら、エンターテインメントの道に進みたい!と伝えた息子の道を応援してくれるくらいの度量。

お父様は金銭的にも心にも余裕がある方であるように感じます。

祖父は元テレ朝副社長の福田薫

https://spdy.jp/
  • 福田淳の祖父は元テレビ朝日副社長
  • 享年64歳

わたしの祖父 福田薫は、早稲田大学をでて「中外物価新報」(のちの日経新聞)に入社。

相撲部の記者から政治部長を経て、日経新聞のナンバー2の地位まで上り詰めた。

しかし、圓城寺次郎さん(その後、日経新聞社長を20年以上務められた)と激しい権力争いに敗れ、子会社(日本教育テレビ=現在のテレビ朝日)の副社長として左遷させられた。

福田淳公式noteより引用

福田さんご自身も経験されていますが、

権力争いは恐ろしいですねぇ;

祖父、福田薫は新しもの好きで、二眼レフカメラや5インチのオープルリール録音機などなんでも揃っていた。

先日、幼少期の9.5mフィルムテープが出てきた。毎年家族と観音崎にバケーションで行ってた。海で遊ぶ3才の自分が映し出されていた。わたしの年代で動く幼少期の映像があるのは珍しい。

福田淳公式noteより引用

こういったお祖父様の趣味があって、

幼少期の福田さんのエンターテインメント愛や映画撮影愛が生まれたのかもしれませんね

福田淳の妻と子供

  • 1996年には既に妻子がいた
  • 2022年には「娘はLAに在住」という記載あり
  • 娘もマスコミ業界で働いている
  • 娘はのんさんと年齢が近い→30歳前後と推定!
https://spdy.jp/

ご本人のエージェント会社HPにて娘さまのお話が出ています。

この写真は、ロスにいる娘が自分の銀行と支払いが連携できず家賃が引き落とせない、ということで日本から持っていった米ドル!

https://spdy.jp/

2022年の記事ですので現在もまだ在住かはわかりませんが、

娘様はLAにお住まいのよう。

また、先日の対談にて「のんちゃんと出会って、うちの娘と同い年くらいで・・・」とお話が出ていましたね。

↓こちらの対談です♪

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